近頃、胎内記憶を話す子が増えてきて
封印していた子どもの頃の事をどんどん思い出すようになってきました。
聞いたら、堰を切ったように話してくれる子もいますから、もしお子さんが不思議な話をし始めたら
否定せず、腰を折らず、最後まで聞いてみてください。
実はそれは、ママを助ける為に話してくれてる事なんですよ。
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子どもの頃、父の車に乗ると音楽をいつもかけてくれて、一曲だけとても印象に残っている曲があった。それは「カナリヤ」という童謡でした。
『歌を忘れたカナリヤは
後ろのお山に棄てましょか
いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは
背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか
いえいえそれもなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえそれは可哀相
歌を忘れたカナリヤは
象牙の舟に 銀の櫂
月夜の海に 浮かべれば
忘れた歌を 思い出す』
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私は、小学1年生の夏休みまで
大いなる存在と繋がって生きていた
受け取ったメッセージを
そのまま大人に話していて
何か話すたびに
全て否定され怒られていた
この頃の私は
みんな大いなる存在からメッセージを受け取ってみんな知ってる前提で喋っていた
小学校に上がると
早生まれということもあったし、
虚弱な体質で病気がちで
身体も学年で1番小さかったし、なんでもゆっくりゆっくりしていて、皆んなと同じ様にさっさと行動ができない子どもだった
それなのに
小学校に入ってすぐの知能テストでは
学年で1番のハイスコアだと担任の先生が驚き、母に伝えに来た
しかし母は、普通が1番幸せなのだと
能力を伸ばすということを選択しなかった。
大変な事から守る、それが母の愛の形だった。
その後、耳たぶの丸いしこりがなくなって
(詳しくは別の投稿に書いてます)
私は『普通』になった。
そして、声が出なくなり
病院に通い続け
沢山の検査をし、薬を飲み続けた。
でも小学校を卒業する頃まで全く良くならなかった。
小学生の間は子どもなのに
しゃがれたガラガラ声で
合唱曲さえ歌うことができなかった
歌が好きなのに『カナリヤ』みたいな私
ピアノの練習は
あまり好きではなかったけど
伴奏をする事でなんとか自分を保っていた
現状を受け入れて
できる事をするしかなかった幼い私に、
本当に頑張ったねって伝えたい。
自分に向き合い内観を続け本来の自分を知っていく度に
生まれる前に学びたい事のためにこの両親を選んで生まれた事、
両親は私をとても愛して育ててくれていた事、
苦労する事がないよう大切に守って大きくなるまで生きられる様にしてくれた事を
深く知る事ができた。
もし想うがままに才能を発揮し成功して結果を出していたら、『カテイ』を大切にするという学びはなかった。
お父さん、お母さん、本当にありがとう。