1ヶ月程前の記事に追記をしたくて再投稿しました。
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毎週楽しみにしているテレビドラマ『舟を編む』
毎回、何だか妙に刺さる言葉があって
あー、こういう事だったのかと、自分の事に置き換えて理解できる、という様な事が何度もありました。
先週は、信頼できる辞書を作るためにあらゆる事項に誤りがないか、広さ長さ高さなどの数値の変化がないか、出典元が合っているかなど確かめるためのファクトチェックを3回をしていくのですが、
二度目のチェックが済んだ分を三度目担当の上司に渡す時『疑って下さい』『疑います』というやり取りが
何だか私がいつも脳内でやってる事みたいだと思いました。
出版してしまうと間違いが直せない辞書みたいなんて、どれだけ慎重になっていたのでしょうか
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ファクト‐チェック【fact check】 事実 かどうかを確認すること。文書や発言の中で事実として示されている 事柄に誤りがないかどうか 調べること。
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私の性質の基本として、行動にスピード感があるために大雑把になったり事故(トラブルや間違い)が多発します。
社会生活をして行く上で、それでは本当に大変なので失敗しないように『慎重になる』
だから、テストの時はなるべく3回見直しができる様に、猛スピードで問題が解けるように勉強して見直す時間をたっぷり取る、という事を無意識にしていました。
だから、本当に安全か信頼していいのか確かめたいという本能的なものがあって
世間一般の価値観や、みんながやってるからとやらされる様な事は
本当にそうなのか、調べたり確認したり、落ち着いて考えようとしたり、時間がかかってしまう事も多いのです。
(そのおかげで、治らないと言われる病気を治せたり、色々と健康を守る事ができたといういい面もありますが)
自分のエゴで直感的に選択して、大きな学びとなった経験が幾度となくありますから
大切な選択をする時程、自分の選択で自分だけでなく相手や周りの人をも巻き込んで事故らせてしまう事がないようにと
慎重に慎重に、信じるために疑う事をしていたんだなという事もありました。
逆に、直感的に即動けてる時は、完全に自分の選択を信頼できてる時
信じるために疑って確認をしてあったから、同じ様な事があれば、本能的に安全確認できているから、本当に大丈夫だよねって最終確認だけして即行動できたりします
だから、食品や日用品などは決まった物をケースでまとめ買いする事が多いです 笑 (でも、原材料が変わる事があるので注文時には必ずチェックします。やっぱり慎重😆)
信じてなくて疑ってるんじゃない
信じ切るため、だったんだな
こうやってひとつひとつチェックして大丈夫と確認できたら、これからは自分を信頼して心のままに行動できるのかもしれません
ちょっと楽しみです
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追記です。
ドラマでは、この後の校了直前に
ストーリーの中でも重要だった『血潮』という言葉が、初期段階から抜けていたことが判明し、全見出語の抜けを捜すという事になりますが
私も重大な事から目を逸らして、見過ごしていた事に気がついて…
何かある度に
またそうだったと気づいて
何度も何度も同じ事を繰り返していた。
気づいたと思った今回も、また。
『揺らがない』という事が抜け落ちていたから。自分が揺らがなければ他は関係がなかった。揺らがない心があれば、不安や信じられないなんて気持ちなど現れもしない。子どもの様な真っ直ぐさ、それでいい。
大人になった私は、その子どもの自分を信じて見守る。そんな二重構造。
沢山の人が愛する大ヒットする様な作品は、何か強いメッセージが込めてあるなといつも感じていますが、
受け取る側が整った時、
必要なタイミングで、思いもしないルートで気づくことって確かにあって
あっ、やっぱりそうなんだなと思いました。
作品や人からの言葉、snsでみた文章、様々な物を使ってメッセージはいつも送られているけれど、気付けるかどうかは受信器がその周波数とチャンネルがあっているかどうか
受け取る事ができるよう自分に真っ直ぐに整っているかどうかだな、と。
そして今、金曜ロードショーでやってる『崖の上のポニョ』を観ながら書いていました。
初めてちゃんと観ました。次男がお腹にいた時、産院の待合室でいつもDVDで流れていて、見た様な気になっていた作品でした。
ポニョも、宗介も、お父さんも、お母さん達も皆んな自分の中にある。
起こる事は全て良くなる為に起きている事
あの事があったおかげ、と必ず言えるから。