『自分の領域を守りながら、自分のやり方で立って進んでいく』ということは、理解してくれる人があってからこそできます。
自己表現が得意な人は、肩書きや目に見える豊かさできっと沢山の人が賛同してくれるでしょう。
でも、自己表現が苦手な人や、自分の持つ豊かさを外に出さない人達もいます。そういった人には、少し難しい事でもあります。
その環境にいたくても、その人間関係を続けたくても、今までは理解されないから『みんなと同じ様』にならなくてはそこに存在できないから、表面的に誤魔化したり、我慢したり、見せないように『偽りの自分』で生きていくしかなかったりもします。
でも、それもできなくてそんな我慢や自分を削らなくても良い関係だけにするというのは、人を切り捨て遠退け、ずっと心の奥底では分かってもらえないという孤独をどこか抱えています。
それでも自分の心を壊さないための人間関係を作るために境界線を引き直さないといけない時もあります。
先ずは、ありのままの自分で平常運転できる範囲の中でしっかりと癒されて整ってからでないと、心地良い環境の関係性にできません。
周りの人も同じように我慢や自分を削って消耗していないから、心地よくいられるのですから。
そんな関係性は、自分も相手も傷だらけで修復不可能になりかねません。離れても必要なご縁ならば必ずまた繋がる。
心地良い関係の中では、ありのままの自分でやりたい事をするけど、その考えを人に押し付けたりしない。それが最善だったとしても。伝えはするけど、相手がどうするかは任せて見守る事ができる。
逆に、自分のキャパを超える事は受け取らなくても関係が壊れない事を信じられている。
損得勘定ではなく、信頼関係で繋がれる様に。
その世界を少しづつ広げていくのに、人の心の痛みを知って心の器を広げる事を私たちは生きていく中でずっと学んで行くのでしょう。
皆んな何か心の傷があって、不安を解消するための考え方の癖を持っている。
その心の傷を癒す為の事を得意とした個性をもっている。
だから、その人のありのままを理解して、自分にないその個性を、それいいね!と言い合えて取り入れ、高め合うために出会ってる。
人との出会いは、自分の世界を拡げるための大切なご縁。再びの縁も、新しい出会いも、そのご縁でチャンスがが与えられている事に気づいて受け取れたらいいな。
自分にどれだけそのチャンスを受け取る許しができるのか、そんな感じがしています。