信頼する

大切に思う人ほど『こうあってほしい』というエゴが出てしまいます。
それは失うのが怖い、傷つきたくないという自分の不安を相手に投影し、コントロールしようとしてしまうから。

その心の奥には、安心させてほしい
そんな苦しみがあります。

意見が合わず、どうして伝わらないのかとその人を変えようとして、歩み寄る事も共感する事もできない。

後からその人がどうしてそうしていたのかが、何となく分かってきても
また同じことを何度も繰り返してしまう。頭では分かっていても、無意識に反応してしまいます。

感情的になったり、ネガティブになってしまうその裏には
自分が過去に傷ついた癒やされていない想いがあります。

幼少期、否定され続けられて
そのままの自分では愛されない、自分には価値がない、やっぱり自分はダメなんだという思い込みが染み付いていて
また何かの折に誰かに否定される事で、またそれを思い出させられて感情が揺さぶられてしまう。
相手を自分と同じ様に、そのままではだめだとジャッジして戦ってしまう。

本当は自分は沢山の愛を与えられて生きていた、大切に思われていたのも、ネガティブな状態ではなかなかそれに気がつけないものですね。


大切に思われてこそのことだったというのがわかるようになってから
ようやく、その状況や現象、相手の言動のそのままをフラットにそのまま受け止められ
ジャッジやコントロールしないでいられるようになる

頭では理解できても、実際にはできないことが殆どで、それでも向き合うしかないのですが

過去の傷が多ければ多いほど、ひとつひとつその傷を治し癒やされるまで何度も挫折しながらも、ようやくそこに辿り着く事ができるのかもしれません。

その状況や現象、相手の言動のそのままをそうなんだなと受け入れられる人は、
自分を自分自身で否定する事なく、そのままを受け入れられている。
自分は自分、相手は相手、そのままでいいと思える。
自分を愛せているから自分の意見を尊重し、
同じように他人が別の意見であっても、それを尊重する事ができるようになります。

『目の前にいる人は自分を映す鏡』といいますが
自分の内面を自分の前の人を通じて観ているのです。感情は、そのサイン。
幼少期から何度も何度も、そのままの自分では愛されないという恐れを感じている自分に直面して
不安から言動を起こしても、安心する状態に変化しないから心を守るための言動を無意識におこしてしまいます。

サインだと気づけたら、それまでは無意識に起こしてしまっていた言動が変わる。

痛みの奥にある本音を見つけたとき、ぎゅっと握りしめていたものを解いて、その本音に寄り添ってみる。

自由な心で振る舞う自分を許せる。
自分を愛せているから、信頼しているから
目の前の人へも依存でも支配でもなく信頼からの言動ができる。

自分も相手も、思うままでいられた事に喜べる自分でいられるようになって、

またひとつ心を解いていく。

硬い蕾が、温かな光に少しずつほころぶように。花が咲くのを楽しみに見守っていきましょう。

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